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2014年6月17日火曜日

チュロスを食べた、カミーノ9日目

旅も終盤にさしかかり、とうとう今晩の夜行バスでマドリッドへ向かう。サンティアゴ D.C. 最終日はバスで30分ほどのところにあるパドロンへ向かうことにした。もう巡礼の旅は終わったし、荷物はホテルに預けた。

パドロンはガイドブックではコラムに1/2ページ割かれているだけで、何かと聖ヤコブに縁のある土地らしいという情報しか分からなかった。一番有名なのはガリシア地方のトウガラシ料理、ペメント・デ・パドロンらしいが、私は辛いの食べられないのでよく分からない。

いつものようにバスターミナルからバスに乗ったのだが、動き出した途端がっしゃーんという大きな音とともにバスが止まった。バスが後ろの柱に衝突して、リアガラスが完全になくなっていた。

2014年4月18日金曜日

地の果て、カミーノ8日目

旅の集大成としてムシアまで約30キロを歩く予定でいたが、昨日岬に行けなかったので予定を変更してムシアは諦め今日は岬に行くだけにした。図らずも巡礼の旅の終わりが地の果ての0キロ地点となった。


2014年4月10日木曜日

たったの3時間、カミーノ7日目

実は聖地に着いたにも関わらずゴール感がわかなかったもう一つの、そしてもしかしたら最大の理由は、サンティアゴ・デ・コンポステーラは聖地だが、0キロ地点ではないことだ。

ここからさらに90キロ先の「地の果て」という名前の岬、フィステーラが0キロ地点で、ミサに参加したときにはまだ一応次の日から90キロを3日かけて歩くつもりでいた。つまり聖地には着いたがまだゴールしてはいなかったのだ。

しかし気持ち、体力、スケジュールなど色々な事情が重なって、結局フィステーラまではバスで向かうことになった。

バスターミナルはホテルから徒歩で1時間のところにあり、Google先生はバスかタクシーを使う方法も教えてくれたが、私たちは自然と歩きだしていた。いつの間にか1時間は徒歩圏内になっていて、バスターミナルにはこの後何度も歩いて通うことになった。


2014年3月12日水曜日

休日、カミーノ6日目

2014年1月1日は、大聖堂の裏手にあるオブラドイロ広場で迎えた。

0時を過ぎても広場は盛り上がっていたが、毎日早寝早起きだったし朝から歩いて疲れていた私たちは早々に引き上げた。

新年1日目の朝は寒く、冬のガリシアは9時頃まで日が昇らないし、昨晩やんでいた雨がまた降っていた。去年の元旦はちょうどアイスランドから帰って日本に着いたときで、アイスランドとは違って朝日が眩しくて、日本てなんていい国なんだろう!と思ったことを真っ暗な窓の外を見て思い出した。

けれど今日は歩かなくていい。これまで朝起きたらすぐに歩く準備を始めていたから、久々にゆっくり朝ごはんを食べた。

2014年3月5日水曜日

油断した、カミーノ5日目

たった10キロ、昨日までの約1/3の距離を歩いてサンティアゴ・デ・コンポステーラに着くだけの日。10キロという言葉の響きにすっかり油断していた。

11時までに巡礼事務所に着いて手続きを済ませると、毎日12時から行われる巡礼者のためのミサで名前が呼んでもらえると聞いていて、迷うことも考えると10時半くらいを目標に着きたいと思っていた。

ホテルを出発したのは8時半、昨日以上にひどい雨だった。レインウェアだけではしのぎきれず、傘を差して歩いた。



2014年2月21日金曜日

焦り始める、カミーノ4日目

パラス・デ・レイでの出来事が尾を引いて、とうとう私たちは早起きをやめ、4日目は夜が明けてから出発することにした。

この日も神経質なおばさんがいて、夜中にトイレに行ったり早朝に準備をしている人にいちいち「しーっ」と注意していた。昨日とは違って怒られている人を見ている立場になったが、あれくらいの音は共同生活である以上仕方ないと思える自分がいてほっとした。

朝食を食べながらアンドレアと「今日はどこまで歩くつもり?」という定番の話をしていたら(今晩の宿が確保できるかどうかは死活問題なので、より多くの情報を持っているヨーロッパ人の動向は非常に気になるのだ)、私たちの今日の目的地であるラバコーデャにはアルベルゲがなさそうだということが分かり、慌ててホテルを検索して予約した。スマホとインターネット、本当に便利。

ホテルを探している間にみんなはどんどん出発して行き、私たちが出発したのは最後だった。

冬のガリシア地方は雨ばかりと聞いていたのに、青空が出ることもあるくらい天気に恵まれていたが、ここにきてとうとう本格的な雨が降り始めた。


2014年2月17日月曜日

逃げ足は速い、カミーノ3日目

3日目の始まりは最悪だった。昨日と同じく他の人より早めに起きて準備をしていたのだが、同室になったおばさんが「うるさい!」と言って怒ってきた。

もちろんできるかぎり音を立てないようにし、光もなるべく出さないようにしていたけど、寝袋のしゃらしゃらする音とか、ジップロックがパリパリする音とか、どうしても出てしまうものがある。

その点私たちが完全に悪いのだが、おばさんはヒステリックに怒るばかりで、謝ってもダメ、準備をやめて音を出さないようにじっとしててもダメ、おばさんは大声で怒鳴る、という状態で、手が付けられなくなってしまった。

おばさんは前日の夕方に部屋に到着した時からすでに何か(もしかしたら何もかも)に対して怒っていて、もはや私たちにどうにかできる問題ではなかった気がするので、おばさんに対しては「変な人と同じ部屋になっちゃって運が悪かったな」と思うだけだったが、同室で我々のやり取りを聞いているだけの人たちに対しては、彼らもうるさかっただろうな、巻き込んでしまって本当に申し訳なかったな、という気持ちでいっぱいだった。

それでもなんとか準備を済ませ、もやもやとした気持ちで歩き出したが、真っ暗で寒くて足が痛いのは昨日までと何にも変わらなくて、ちょっとだけ落ち着いた。



2014年2月14日金曜日

目標は高く、カミーノ2日目

2日目はポルトマリンからパラス・デ・レイまで28キロ歩く予定になっていた。

文字通りもう1歩も歩けない、、という状況でゴールした1日目は、迷った分も含めて24キロ。たった4キロ増えるだけではあるが、1日目「あと(たったの)4キロ…!」と思ってからが一番辛かったことを考えると、4キロの違いは侮れない。

とはいえ歩く以外に選択肢はなく、歩くのが遅い私たちは他の人より早起きして、真っ暗な中懐中電灯で黄色い矢印を見失わないよう注意深く照らしながら歩き出した。

夜明け

2014年2月4日火曜日

ご当地ラバーダック(スペイン)

おととしアメリカに行くまでご当地ラバーダックがあるなんて知らなかったんだけど、世界ではメジャーなんですね。スペインにもありました。鳥好きとしては見逃せない。

左がダリダック(マドリッド)、右がカミーノダック(サンティアゴデコンポステーラ)
ラバーダックはゴムが製造されはじめた19世紀後半から作られているという歴史のあるおもちゃで、オランダのフロレンティン・ホフマンのインスタレーションで再び脚光を浴びてますよね。個人的にはあの顔はあんまり好きじゃないんですけど、

2014年1月18日土曜日

距離感保つの苦手

どこで見つけたのか忘れたけど、確か4日目、アルスーアとラバコージャの間のどこかだったと思う。旅の終わりが現実的になってきて、歩き終えたときのことを考え始める、そういうころ。



「淳はだんなさんとカミーノ歩きたい?」

2014年1月14日火曜日

2014年1月13日月曜日

贅肉

カミーノでいらなかったなってものの重さを量ったら、1026gもあった。


途中から必要ないって気づいてたのに捨てられなくて、捨てて帰ってきてもいいと思ってたものすらやっぱり捨てられなくて、最後まで必要ないもの1kgも背負って歩いてた。

これが捨てられてたら、どこか変ってたかな。

2014年1月12日日曜日

「1日目が一番大変なのよ」

ポルトマリンのアルベルゲで出会ったアンドレアの言葉。

午前11時までにサンティアゴデコンポステーラに着きたかった5日目を除くと、一番短い行程だったにも関わらず、足も肩も限界の状態でポルトマリンに着いた私たちに、巡礼上級者のアンドレアが教えてくれた。

2014年1月11日土曜日

右手が勝手に

作っていたボカディージョ。


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