2014年4月10日木曜日

たったの3時間、カミーノ7日目

実は聖地に着いたにも関わらずゴール感がわかなかったもう一つの、そしてもしかしたら最大の理由は、サンティアゴ・デ・コンポステーラは聖地だが、0キロ地点ではないことだ。

ここからさらに90キロ先の「地の果て」という名前の岬、フィステーラが0キロ地点で、ミサに参加したときにはまだ一応次の日から90キロを3日かけて歩くつもりでいた。つまり聖地には着いたがまだゴールしてはいなかったのだ。

しかし気持ち、体力、スケジュールなど色々な事情が重なって、結局フィステーラまではバスで向かうことになった。

バスターミナルはホテルから徒歩で1時間のところにあり、Google先生はバスかタクシーを使う方法も教えてくれたが、私たちは自然と歩きだしていた。いつの間にか1時間は徒歩圏内になっていて、バスターミナルにはこの後何度も歩いて通うことになった。


たった1日休んだだけだったけど、荷物を背負う感覚は懐かしかった。背負えるだけの荷物がすべてのミニマムな自分に安心感があった。何より、荷物を降ろしているときには旅行者だったが、荷物を背負うとまた巡礼者になった。

徒歩だと3日かかるフィステーラまでの道のりだが、バスだとたったの3時間で着いた。0キロ地点は町からさらに4キロ先の岬にある。

まずは宿を確保しようと公営のアルベルゲに向かってみたら、私たちが何も言わないうちから「歩いて来なかった人は泊まれない。私営のアルベルゲがあちこちにあるからそっちへ行きなさい」と追い返された。

まあ仕方ない、と私営のアルベルゲを探し始めた。確かに歩いてきてないし、フィステーラ事情に詳しいはずのオスピタレロがあれだけ無下に追い払うのだから、当然私営のアルベルゲがいくつか開いているのだと思った。

しかし1月2日のフィステーラは閑散としていて、確かに私営アルベルゲはいくつもあるのだが開いていないところばかりだった。

一人みんなと別れて開いていそうなアルベルゲを探して困っているとおじさんが声をかけてきてくれた。なんとか話が通じて、そばを歩いていたおばあさんに相談してくれた。事情を聞いたおばあさんは「みんなで一部屋で良ければうちに来なさい 」と言ってくれた。なんていい人なんだー!良かったー!野宿しなくて良かったー!

おばあさんに家の場所を教えてもらった後、友人と「ここで待っててね」と別れたところに戻ったのだが友人はおらず、はぐれてしまった。

ひたすら待ってみたり、街中を何回も往復してみたりして、これだけ探していないのだから、建物の中に入ってしまっているのかもしれないとさすがに諦めかけたころ、ひょっこりと再会。

彼女らは彼女らでわらしべ長者的に私営のアルベルゲのオーナーを探し当て、閉まっていたアルベルゲを開けてもらうことができたと言う。ちゃんとお金を払うことができて、開けてさえもらえば迷惑をかけることもないので、アルベルゲに泊まることにした。

公営アルベルゲのオスピタレロに取り付く島もなく追い払われた一方で、ごくごく普通の人たちのほうがずっと親身になってくれた。どこの公営のアルベルゲにもあまりいい思い出はない。

アルベルゲに荷物を置いた後、おばあさんに事情を説明に行ったがいなくて、おばあさんちの1階にあるレストランのおばさんに伝言をお願いした。泊まっていいよと言われた時は本当にほっとしたので、おばあさんに直接「泊まるところあったよ!野宿しなくていいと分かった瞬間は本当に救われたよ」と報告したかったので会えなかったのは心残りだった。

やっと一息ついた頃には日が暮れていて、行く予定だった岬までは行けなかった。仕方なく岬は諦め、せめてものお礼にとおばあさんちの下のレストランで晩ごはんを食べた。レストランのおばさんも、友人を探しているときWi-fiを貸してくれたり親切にしてくれたのだ。どうやら有名店だったみたいでおいしかった。

フィステーラの町に着いてからここまで写真を撮ってる場合じゃなくて、久々に撮った1枚。
名前は聞き取れなかったけど、巡礼者に振る舞うお酒だと言って出してくれた
アルコールが強かった
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