2014年3月5日水曜日

油断した、カミーノ5日目

たった10キロ、昨日までの約1/3の距離を歩いてサンティアゴ・デ・コンポステーラに着くだけの日。10キロという言葉の響きにすっかり油断していた。

11時までに巡礼事務所に着いて手続きを済ませると、毎日12時から行われる巡礼者のためのミサで名前が呼んでもらえると聞いていて、迷うことも考えると10時半くらいを目標に着きたいと思っていた。

ホテルを出発したのは8時半、昨日以上にひどい雨だった。レインウェアだけではしのぎきれず、傘を差して歩いた。



少し歩き出したところで「あれ?このペースだと11時ギリじゃない?」と気づいた。

それもそのはず、これまでだいたい時速4キロ強のペースで歩いてきたが、8時半に出発して時速4キロで歩いていれば11時ちょうどにしか着かない。

久々にホテルに泊まった開放感から、しっかり考えずに出発の時間を決めてしまっていた。今頃気づいてももう遅く、とにかく急ぐしかなかった。

巡礼路で初めて聖地の大聖堂が見えることから
「歓喜の丘」と呼ばれる場所も素通りした
旧市街の入り口
新市街を通り抜け、旧市街に辿り着いたのが10時40分、大聖堂に着いたのが50分、さらに巡礼事務所を探して右往左往し、順番待ちもあって手続きしてもらったのは11時5分頃だった。

巡礼証明書を手に入れた喜びもつかの間、ミサの前に荷物を降ろしたかったのですぐにホテルを探し始めた。悠長にホテルを探している時間もなく、とりあえず昨日なんとなく当たりをつけていたホテルに急いで向かって、スペイン語しか話さないホテルのオーナーとなんとかコミュニケーションを取って部屋を開けてもらい、荷物を置くだけ置いてまた大聖堂へ戻った。

出発の時間をちゃんと計算していなかった自分が悪いのだけど、慌ただしくゴールしたことや、雨がひどく降っていたせいで、ゴールしたんだかしてないんだか、嬉しいんだか嬉しくないんだかよく分からない状態だった。巡礼事務所が大聖堂の中じゃなかったことも、なんだかここがゴール?って感じで聖地に着いたという実感がわかなかった。ましてやこの旅で何か啓示を得たいと思っていたことなんてすっかり忘れ去っていた。

それでも、ミサに参加してボタフメイロが振られたときは、ここまでこれが見たくて100キロ以上も歩いてきたんだよな、と思って少し泣いた。

ボタフメイロが振られるか振られないかはその時にならないと分からない
大晦日だし振るだろうなとは期待していたけど
振られるところが見られて本当に良かった
幸いなことに、ミサの参加者としてちゃんと間に合っていたようだった。ミサで名前が呼んでもらえるというのは勘違いで、本当は「日本から◯人」って言われるものらしい。私は「JAPAN」しか聞き取れなかったけど、2013年12月31日にゴールした日本人は5人で、私たちと、道中よく会ったトモコさんの他に、もう一人ゴールしていたみたいだ。開いているアルベルゲが限られていたせいでほとんど毎日会う人がいた一方で、全然会わなかった人もいるなんて不思議。


遅い昼ごはんを食べた後、明日の元日に備えスーパーでどっさり食糧を買い込み、年越しのイベントに行って、カミーノを歩き始めて以来初めての夜更かしを楽しんだ。


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